
「消防士になれば、一生安泰だ。」
20代前半の僕は、そう信じていました。だからこそ1年間の勉強とトレーニングを続け、夢だった消防官の切符を掴んだときは、心の底から嬉しかった。
しかし、実際に足を踏み入れた世界は、憧れていた「人を救うヒーロー」の姿とは、あまりにかけ離れた現実が待っていたのです。
24時間拘束の閉鎖的な人間関係、変わっていない古い慣習。タクシー代わりに呼び出される現場の虚しさ。そして、市民の味方であるはずが、部下にパワハラ行う上司たち……。
結局、僕は5年前に「公務員」という看板を捨て、未経験から溶接工の世界へ飛び込みました。当時は
「安定を捨てるなんて無謀だ」
「後悔するぞ」
と多くの批判も受けましたが、退職から5年経った今、航空業界で職人として働く僕の心は、消防士時代よりもずっと安定しています。
この記事では、僕が実際に現場で見てきた消防組織の理想と現実のギャップ、そして「安定」を捨てた僕がなぜ今、後悔せずに楽しく生きられているのかについて、本音で語ります。
もしあなたが今、「今の仕事に違和感があるけれど、安定を捨てるのが怖い」と悩んでいるなら、この記事が「自分にとっての本当の安定」を考え直すきっかけになれば幸いです。
「オレンジのヒーロー」への憧れと、要領が悪かった僕の挑戦

「危機的状況の中、颯爽と現れるオレンジのヒーロー」
それが、僕が昔から抱いていた消防士の絶対的なイメージでした。火災、救助、救急。人々がパニックになり助けを求める現場で、唯一冷静に手を差し伸べてくれる存在。
心身ともに極限まで鍛え、誰かの命を救う。そんな姿に憧れ、「いつか自分も……」という熱い想いを抱いていました。しかし、体を動かすことは好きだったものの、学力や要領には自信がなかった僕にとって、それは「夢のまた夢」だとどこかで諦めていた部分もありました。
支えてくれる先輩との出会いと、熱意溢れる同期と高め合う日々の始まり

一度は諦めかけた夢でしたが、様々な縁が重なり、2017年に消防士試験を受け合格。なんとか採用を勝ち取ることができました。
配属先で行われた新人歓迎会。その年の新人は僕一人だったこともあり、多くの先輩方が温かく、時に厳しく声をかけてくれました。
「きついことは多いけど、一緒に頑張ろうな」
「不安なことがあれば、いつでも先輩を頼れよ」
そんな励ましの中で、僕が密かに不安を覚えていたのが、多くの職員が口を揃えて語る「消防学校」の話でした。
「1日に腕立て伏せ1,000回することがあった」
「熱中症で倒れるのが日常茶飯事」……。
聞くだけで顔が引き攣る僕に、同じ所属で学生時代の先輩でもあったK先輩が、そっと肩を叩いてくれました。

「人生で一番追い込まれる半年になると思う。でもミナライなら大丈夫。何かあれば俺を頼ってこい。」
身近な先輩のその言葉が、どれほど僕の支えになったか分かりません。
そして迎えた、消防学校初日。県内の新米消防士30名が集まる教室。チャイムと共に登壇した教官の第一声は、今も耳に残っています。

「『消防士はかっこいいから』『公務員だから』。そんな甘い考えでここに来た奴は、今すぐ去れ。ここは命を救うための『心』を作る場所だ。生半可な覚悟で務まる仕事ではない。」
教室に走る、強い緊張感。その言葉の先に待っていたのは、意識が飛びそうになるほどの体力訓練でした。いつ終わるかわからない腕立て伏せ。次々と力尽きていく同期たち。
気づけば腕立て伏せは500回を超え、残っていたのは数人の同期のみ。初日から強烈な「洗礼」を受け、自分の甘さを痛感しました。
しかし、夜の寄宿舎で流れる重苦しい空気の中、誰からともなく声が上がりました。
「辛いのは一人じゃない。みんなで乗り越えよう」
この熱い気持ちを持った同期たちがいたからこそ、過酷な洗礼を受けてもなお、誰一人欠けることなくスタートすることができたのだと思います。
消防学校卒業間近、「腐るなよ」という言葉に隠された重い意味

半年間の過酷な訓練が終わりに近づき、最後の総仕上げを前に開かれた懇親会。そこでは鬼のようだった教官たちも嘘のように和気藹々と話し、学生たちと楽しい時間を過ごしていました。
そんな中、教官と二人きりで話す機会があり

「ミナライ、学校が終わって所属に戻っても、環境に流されて腐るなよ。若いもんが変えていかんといかんぞ。」
その言葉の意味を、当時の僕は正しく理解できていませんでした。
教官の話によれば、地方の消防署は比較的平和な分、仕事が少なくモチベーションを維持しにくい環境があるとのこと。特に僕が配属される署は、その傾向が強いというのです。

「熱意を持って励んでいる若い子もいる。だが、上司がもう……」
言いかけた教官の曇った表情が忘れられません。まだ現場の実感がなかった僕は「大袈裟だな」と受け流していましたが、その言葉はずっと胸の奥に引っかかっていました。
所属勤務に戻って知った「忠告」の意味と、己の未熟さ

消防署での勤務に戻り、数ヶ月が経った頃。僕は、教官が言っていたあの忠告の意味を、身をもって理解し始めていました。
救急、火事、救助。それらすべてを合わせても、出動は1日に1件あるかないか。そんな穏やかすぎる環境のせいか、署内の空気は驚くほどゆったりとしていました。
夕食後の自由時間になれば、職員たちはゲーム、新聞、テレビ鑑賞、あるいは趣味の釣りの準備……。まるで自宅の居間のようにくつろいで過ごしていたのです。
(本当に、待機時間ってこんなに自由でいいんだろうか……)
違和感を覚えながらも、当時の僕は「不器用で、物覚えも悪い新人」というレッテルを貼られていました。自由時間にはせめて道具の名前だけでも覚えようと必死でしたが、実戦経験を積めない焦りと、簡単なことすら満足にできない自分への不満が募る毎日でした。
しかし、そんな「自分は仕事ができない」という自覚すら、まだ生ぬるいものだったと思い知らされる出来事が起きるのです。
初めて体感する緊迫の現場と、何もできない自分

少しずつ現場へ連れて行ってもらえるようになった頃、一本の通報が入りました。
「CPA(心肺停止)!」
その一言で、署内の空気が一変しました。

「ミナライ、準備しろ!」
その言葉を皮切りに職場内が慌ただしく動きはじめました。初めての緊急事態に、心臓が口から飛び出しそうなほどの鼓動を感じながら、僕は頭の中で必死に出動のシミュレーションを繰り返しました。
現場に到着した瞬間、一人の家族が僕の袖を必死に掴み

「息をしてなくて……! 助けてください、お願いします!」
泣きじゃくる家族。それを取り囲む野次馬。手早く処置に当たる先輩たち。教科書で学んだのとは全く違うリアルな現場の空気に、僕は完全に呑まれてしまいました。

「ミナライ、何してる! 早く運ぶ準備をしろ!」
頭が真っ白になり、右往左往する自分。必死に冷静になろうとしても情報が全く処理できませんでした。怒鳴られても反応できず、邪魔だとばかりに端へ追いやられた僕は、ただ処置を見守ることしかできないままでした。
自身の不甲斐なさ、無力感。勉強してきたつもりだった自分が、これほどまでに情けなく、無価値に思えた日はありません。僕にとって、一生忘れられない挫折の瞬間でした。
教科書にはない緊迫の現場。そして「真面目くんやな」と笑う上司たち

署に戻ってからも、しばらくは抜け殻のような状態でした。救急車の中で繰り返された光景が、まぶたの裏に焼き付いて離れない。
「もう二度と、あんな思いはしたくない。今のままでは誰一人救えない」
その日を境に、僕は学び直すことを決めました。
当直勤務の夜、同僚たちがテレビを見たり談笑したりして過ごす中、僕は一人事務室でテキストを読み込みました。不明点があれば、信頼できる数少ない先輩を頼り質問する。
実戦を積めない分、知識だけは少しでも増やそうと考えた、僕なりの抗いでした。
そんな生活を一か月ほど続けたある夜のこと。シャワー後の上司が、事務室にいる僕を見かけて声をかけてきました。

「お、最近休憩室におらんと思ったら、こんなとこにおったんか。……お、勉強か。真面目くんやな(笑)。そんなことより、ゆっくり休むのも仕事のうちだぞ。」
鼻で笑いながらそう言ったのは、普段から僕を「仕事ができない」と馬鹿にしている上司の一人でした。
部下のミスを馬鹿にする一方で、その部下が這い上がろうと学ぶ姿さえも笑う上司。その瞬間、あの教官の言葉が鮮明に蘇りました。

「環境に流されて腐るなよ。」
(…自分は、絶対にこんな大人にはなりたくない。)
暗い事務室で、僕は一人、強く心に誓ったのです。
このままでいいのか…将来への不安を感じた上司の姿と職場の空気

事務室で一人、テキストと向き合うことが日常になってしばらく経った頃。僕の中で、日増しに大きく膨れ上がっていく感情がありました。
(本当に、一生この職場で後悔しないのだろうか……)
という、将来に対する漠然とした不安。所属に戻って半年を過ぎる頃には、自分が今いる環境の「実態」が、嫌でも見えてくるようになりました。
- 救急現場で失敗しても、署に戻ればいつも通りゴロゴロして過ごす上司。
- 上司が不在の日を狙って、朝から夕食の仕込みに精を出す隊長。
- 部下を馬鹿にする一方で、周囲からは全く信頼も評価もされていない上司。
そして最も恐ろしかったのは、そんな職場に何年も身を置くことで、かつては熱意があったはずの若い職員たちまでもが、その空気感に「伝染」していく様でした。
無意識のうちに少しずつ自分も変化していきました。疲労感がある日には「今日はいいか」と勉強をサボる日が増え、周囲の怠惰な空気が少しずつ自分の肌に馴染んでいくのを感じていたのです。
(もし、このままここに居続けたら……)
ふと将来を想像したとき、目の前にいる「尊敬できない上司たち」の姿が、未来の自分自身の姿と重なって見えました。その瞬間、言葉にできない恐怖を覚えたのです。
人口も少なく、平穏な田舎の消防士。響きだけは良いかもしれませんが、そこにあるのは日常の変化が乏しく、ただ会社と家を往復するだけの毎日。
不器用で要領も悪い、何のスキルもない20代の自分。最も吸収しやすく、成長できるはずの貴重な時期を、この環境で溶かしてしまって本当に良いのだろうか。
考えれば考えるほど、家で過ごすように浪費されていく仕事の時間が、取り返しのつかない「人生の時間」を浪費しているように感じてなりませんでした。
【実録】「殴られる覚悟はあるか」元ボクサー上司の暴走と、沈黙する組織の異常性

消防署での勤務に戻り、1年が経過した頃。僕の頭の中では、それまで漠然としていた「転職」という二文字が、少しずつ現実味を帯び始めていました。
そんな中で、消防本部との合同懇親会が開かれました。酒を交えながら仕事の話を楽しむ。そこまではよくある光景でしたが、問題は2次会の後に起きました。
僕は親しい先輩とグループを離れ、別の店で飲み直していました。すると、その先輩の携帯に一本の着信が入ったのです。表示されていたのは「S」の名前。
普段から高圧的な態度で後輩たちから煙たがられている、元ボクシング部のS上司でした。先輩が嫌々電話に出ると、受話器から荒々しい声が聞こえてきました。

「今、〇〇(店名)で飲んどる。はよ来いや。」
要件だけを叩きつけるように伝え、電話は一方的に終了。
すでに酒も入っていたこともあり、僕たちは
「せっかく楽しく飲んでいるんだし、わざわざ呼び出しに応じなくていいでしょ。」
と話し、そのまま飲み続けることに。
しかし、しばらくするとS上司から何度も何度も着信が入ります。流石に無視し続けるわけにもいかず、先輩が電話に出ると、周囲の客が振り返るほどの怒鳴り声が聞こえてきました。

「お前ら、ええ加減にせぇよ! はよ来んか!」
「これはまずいかも……」
僕たちは渋々店を後にし、S上司が待つお店へと向かいました。店の前に着くと、そこには仁王立ちで待ち構えるS上司の姿が…。

「お前ら、俺を舐めとるだろ。殴られる覚悟はできとるんよな?」
酒の臭いと殺気を漂わせ、荒ぶった様子で詰め寄ってくるS上司。
たまたま近くにいた他の上司が割って入ったことでその場は収まりましたが、公共の場で、しかも部下に対して平然と「殴る」という言葉を口にする異常さに、僕は言葉を失いました。
翌日、この出来事を他の同僚に話すと、返ってきたのは諦めに満ちた答えでした。

「あいつは前から問題児だよ。でも、隊長クラスも誰も本気で叱れる人がいないから、あの性格は変わらないだろうな」
”変わることはない”
その一言が、僕の心に重くのしかかりました。仕事内容を馬鹿にする上司、努力を笑う上司。そして、酒の勢いで暴力をちらつかせるS上司。こんな人たちと、これから何十年も肩を並べて働くのか。
この夜、僕の目の前に広がっていた「不安な未来」は、もはや疑いようのない確信へと変わっていったのです。
転職を後押ししたパワハラ上司達の発言

「消防士を辞め、転職する」
自分の中で考えが固まり、少しずつ準備を始める中で、どうしても拭いきれない不安がありました。それは、「本当に後悔しないのか」という問題です。
せっかく努力して入った消防士を辞めても、次が上手くいく保証なんてどこにもない。地元を離れる不安もあり、この選択が正解なのか自問自答する日々。
そもそも、引き止められた時に自分の意思を貫き通せるのか……。そんな葛藤する僕の迷いを打ち消すある出来事が起きました。
その日は以前から僕を馬鹿にしていた二人の上司と、まだ18歳の新人後輩の4人の当務日でした。夕食時にある職員の不祥事をきっかけに
「どうせコネで入ったやつだから無責任なんだろ」
という、根拠のない話が飛び交っていました。
そしてその流れで一人の上司が鼻で笑いながらこう言い放ったのです。

「コネで入るような奴は、結局みんな無責任だよな。そういう奴が職場にいるだけで迷惑なんだわ。ミナライもコネ採用なんじゃないか?」
目の前に僕がいながら、あえて聞こえるように嘲笑う上司たち。さらに彼らは、何も言えず困惑する18歳の後輩に向かって
「お前もそう思うだろ?」
と同意を求めていたのです。
その瞬間、僕の中で何かが「プツンッ」と音を立てて切れました。これまで3年間、やり方が合っているかはわかりませんがやれることをやってきたつもりでした。
不器用なりに、少しでも成長したいと訓練に励んできた。けれど、この組織において、僕の努力も存在も、嘲笑の対象でしかなかった。
(そっか…。僕の居場所はここにはないんだな…。)
湧き上がる感情を殺し、喉の奥から絞り出したのは「……そうですね」という短い返答だけでした。
非番だったK先輩に電話で一部始終を話すと、先輩は震える声で
「俺が代わりに言ってやろうか?」
と怒ってくれました。その優しさに触れた瞬間、堪えていた涙が止まらなくなりました。
悔しくて、情けなくて、でもどこかで「もう我慢しなくていいや」と吹っ切れた感覚。この日、僕の中に唯一残っていた「公務員という安定への未練」は、跡形もなく消え去ったのです。
【あわせて読みたい:事件の全貌とその後】
この「コネ発言」のさらに詳しい経緯や、僕がその後どのようにして「真の安定」を手に入れたのかについては、こちらの記事で詳しく綴っています。
[【実録】「消防士を辞めて後悔した?」と聞くあなたへ。僕が手に入れた真の安定と年収450万の真実]
消防を去って5年。「安定」を捨てた僕が今、心の底から伝えたいこと

消防士を退職して、5年が経過した。(2026年時点)
コネ疑惑のパワハラが起きた日から、僕が退職届を出すまでそう時間はかかりませんでした。色々と周りから批判も受けましたが、パワハラの影響もあり意思を曲げることなく退職。
その後すぐに上京し、転々としましたが現在は航空業界で溶接工として働いています。今振り返ってみて思うことが2つあります。
それは
- 「安定」よりも「スキル」を磨くことが、本当の精神安定剤になる
- 自分の感情を無視しないことが、後悔しない人生への第一歩
ということ
この2つは公務員を辞め数年経った現時点で強く感じることで、嘘偽りなく今読んでいるあなたに伝えたいと思います
「安定」よりも「スキル」を磨くことが、本当の精神安定剤になる

消防士時代の僕はパワハラを受けながらも、公務員という看板に守られていた反面、他の職場で働く事ができませんでした。
特に消防の世界は独特で閉鎖的でもあるため、上司ガチャを失敗すると長い間そこで働くしかありません。しかし、現在溶接工を経験し資格をとった事で万が一何かあっても他の場所に移る事ができる。
この選択肢が増えたことにより、精神的負担が軽くなったのを実感しています。
自分の感情を無視しないことが、後悔しない人生への第一歩

僕が消防士になろうと持ったきっかけは”貢献した実感が持ちやすく、やりがいを感じやすい”という点でした。
しかし、実際の現場は足腰の悪い年配の手助け、タクシー代わりのように呼ぶ人が多くやりがいに繋がらなかった。
社会人になってさらにわかったのは
”人の役に立てない仕事はないこと”
その事実に気付いたとき僕は消防士にこだわる理由がスッと消え、元々関心があった職人の仕事に意識が向くようになりました。
この時の気付きや感情を周りの言葉ばかり気にして無視していたら、今のようにワクワクした日常を送れていないと思います。
まとめ:自分を幸せにできるのは、自分だけ

灼熱と化したアスファルトの上で、毎日繰り返した何百回の腕立て伏せ。
同期が次々と倒れる中、歯を食いしばって耐え抜いた過酷な訓練。
パワハラ上司に嫌味を言われながらも、必死に抗い続けた3年半。
憧れだけで飛び込んだ消防の世界で経験したのは、情けなさと悔しさばかりの毎日でした。しかし、今の僕はその苦い経験に感謝しています。
自分の努力不足や考えの甘さを痛感し、もがき続けたあの時間があったからこそ、現在の「航空業界の溶接工」という道に辿り着けたのだと思っています。
僕は決して要領が良いタイプではありません。頭の回転も、物覚えも、周りに比べれば劣っていました。だからこそ、理不尽な扱いを受けたこともありました。
そんな僕だからこそ、あなたに伝えたいことがあります。
「周りよりできなくても、自分のやりたいことを捨てないでほしい」
未来の自分が笑っていられるかどうかは、今のあなたの選択次第です。周りの声ではなく、自分の心に従って一歩を踏み出してみてください。
【次の一歩へ】僕が現状を変えるために活用した転職サービス

最後まで読んでくれたあなたがもし仕事を変えてみたいと感じたならリクルートエージェントやマイナビエージェント、dodaなどなどのサービスに登録することで何か見えてくるかもしれません。
また自分一人で考えると、どうしても自分の可能性を狭めてしまいがちです。エージェントなどのプロに客観的な視点で自分のキャリアを棚卸ししてもらうことで、僕が溶接工に出会えたような『意外な適性』の発見がある可能性も。
求人も一つの縁であり、タイミングが合えば人生を大きく変える転機にもなりえます。
自分を幸せにできるのは自分だけです。ぜひ、自身の可能性を見つけるためのきっかけにしてみてください。



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